- ネット依存度を減らすために読書を始めた。
- ノイズのない情報源を入手する手段を持つ!
- ネットも読書も“依存”でなく“勉学”な関係で!
読書漬けは“勉学”、ネット漬けは“依存”の謎。
数か月前から、たびたび耳にする『デジタルデトックス』の一環として、読書を始めています。そこで感じたのは、ノイズのない知が必要なこと、知と向き合うということです。
ネット離れ…じゃないけど、いい距離感は持ちたいよねー。
まさにそうなのですよ。
インターネットと依存の関係
大前提な話になるが、 インターネット = 悪 ではないし、完全にネット離れをするというのは、今の時代ではただただ不便になるだけなので、すべきでないと思っている。ただ、“情報”を得る手段ということに関して、もう少し情報のデジタルデトックス的に距離感を持つべき……という話です。
一応、医学的(?)な知見では、慶應義塾大学の『日本における大学生の問題インターネットの利用と精神症状との関連。』という2018年の論文がある。この論文では、大学生の約4割がインターネットによって生活に問題をきたしているというデータが出ている。高い依存度があると、精神的な症状(抑うつ・ADHDなど)が出る模様。なので、やはりインターネットのやりすぎは確かに良くないのでしょう。
ただ、本記事では、インターネットの依存性を精神病理学的に紐解くわけではありません。私は専門家ではないので、語る資格もありませんので。ただ単に、精神論だったりします。
単純にネットの時間を減らして、読書に充てているということですわ。
ノイズの多い情報“ネット”
インターネットの情報はノイズが多い。そう思う人は少なくないはず。
インターネットは多くの知識を私たちに与えてくれますし、欲しい情報がすぐ手に入るというメリットは当然あります。しかし、情報源をインターネットだけに頼ってしまうと、情報の精査が難しくなると思い始めたわけです。
例えば、Aという事象について調べたとすると、AはBだということ、AはCだということ…いろいろ出てきます。もしかすると、前者が正解かもしれないし、後者が正解かもしれない。ひょっとしたら、どちらも不正解かもしれない。どちらも正解という場合すらも…。要するに、さまざまな角度から情報が飛び交ってしまい、ある種の情報過多になって、自分にとって欲しかった情報がどれか分からない状況に陥ってしまうわけです。
これが“ノイズの正体”かもしれませんね。
情報のデジタルデトックスとネット離れで感じたのは、ネットは一種の情報源にすぎないということと、正しい情報を探すよりも、意見を探すのにベターな場であったということです。
ノイズのない情報“読書”
反対に、読書にノイズを感じる人はほとんどいないはず。静寂…というイメージを持っている人もいるだろう。
インターネットは情報が絶えず更新される“線”のようなもので、読書はそこで情報が止まっている“点”だと思っています。
ただ、読書が“点”だからといって、インターネットに劣っているという話ではありません。流動的でないからこそ、その時点での最大限の情報が入ると感じています。
最近では簡単に電子書籍を出版できるようになってきたので、この話がすべてではないのですが、書籍というのは書き手の知がその点(1冊の本)に詰まっていることが多い。そして、売り物としての書籍を成立させるために、さまざまな人が校閲し、お金をユーザーから頂戴しても大丈夫な状態(本屋に並ぶ状態)まで整合性を高めてくれる。
書籍の情報が絶対とは思わないが、ユーザーがお金を払って得る対価としての情報なので、まとまりがある情報なことが多いし、欲しい情報だけ掲載されている(ノイズがない)ことも多い。
いろいろな意見はありますが、読書しないと見つからない情報もあるということだと思っています。
今回のように感じたのは、齋藤孝氏の著書『読書する人だけがたどり着ける場所』を読んだから。この本は、デジタル漬けな人ほど読むべきだと思います。すでに読書好きには物足りないかも。
読書が絶対的にインターネット優れているなんて論ではなく、ノイズのない情報源として読書をするのが良いという話です。情報のデジタルデトックスとして、別の角度から情報を仕入れる方法を持っておくと、変に情報に振り回されることは少なくなるはずです。
読書漬けは“勉学”なのにネット漬けは“依存”
ネット離れやデジタルデトックスを行っていく上で、デジタルな人間として気になったのが、インターネットの扱いです。
読書ばかりしていると“勉学”、
ネットばかりしていると“依存”。
私は冒頭で話したように、インターネットは悪いものではないと思っています。デジタルでしか手に入らない情報もありますし、インターネットがあったからこそ、こういう素人発信のエントリーも書けるわけです。
なので、デジタルデトックスやネット離れとして読書ばかりしても、私からすれば依存ですし、使い方さえ誤らなければインターネットも勉学だと思うということ。
要するに、情報というある一点にフォーカスすると、インターネットと読書のバランスこそが、情報のデジタルデトックスになるのではということです。何でもやりすぎは良くないわけです。バランスという言葉は万能性の高いこと高いこと。
何でもバランスなのですわ。(まだ言う)
分かっているけど…なんだよねー。
まとめ「ネットとは『hedgehog’s dilemma』だと思う」
少しのネット離れの一環として、“読書”という情報のデジタルデトックスを行ってみました。そこで思ったのは、インターネットと現実世界の情報入手のバランス感覚を持つことは大切だということ。
インターネットに依存性があるとしたら、一種の『hedgehog’s dilemma(ヤマアラシのジレンマ)』かもしれない。
読書というネット離れをしてみることによって、自分にとってのインターネットとの適切な距離感を持つことができるかもしれない。
大切なのは自分の軸を持つことですわ。
おまけ
何でもほどほどが良いということです。
デジタル時代だからこそ、アナログな情報は率先して入れるべきかもやね。
ついつい簡単に手に入れようってしちゃうもんねー。
インターネットは偉大ですけど、それに頼りすぎて取り込まれないようにしたいですね。
おわり
とどのつまり、デジタルデトックスの方法として、読書をおすすめするという話ですわ。